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東京地方裁判所 昭和38年(ワ)7635号 判決 1965年3月23日

原告 西牧久恒

原告 西牧吉久

原告両名訴訟代理人弁護士 阿部一男

原告両名訴訟復代理人弁護士 伊藤庄治

被告 大塚隆

右訴訟代理人弁護士 保坂治喜

主文

1  原告らと被告との間に、昭和三八年五月一六日成立した東京簡易裁判所昭和三八年(イ)第三七四号損害賠償等和解事件の和解調書記載の原告らの被告に対する、

一、金額 金二四万円

一、支払方法 昭和三八年五月から完済まで毎月二五日限り金一万円ずつ被告あてに送金して支払い、右割賦金の支払を引き続き三回怠ったときは分割弁済による期限の利益を失う。

なる債務が存在しないことを確認する。

2  被告より原告らに対する前項の和解調書にもとずく強制執行は許さない。

3  被告は原告らに対し金二万四、〇〇〇円及びこれに対する昭和三八年一〇月一三日から完済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。

4  本件につき東京地方裁判所が昭和三八年九月一六日にした強制執行停止決定を認可する。

5  訴訟費用は被告の負担とする。

6  本判決は第三、四項に限り仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の申立

一、原告ら

主文第一項から第三項までと同旨の判決と第三項につき仮執行の宣言を求める。

二、被告

1、原告らの請求を棄却する。

2、訴訟費用は原告らの負担とする。

第二、請求の原因

一、原告らと被告間の東京簡易裁判所昭和三八年(イ)第三七四号損害賠償等和解事件について、昭和三八年五月一六日、つぎの内容の起訴前の和解が成立し、和解調書が作成された。

(一)、原告両名は被告に対し損害賠償債務金二四万円の支払義務あることを認める。

(二)、原告両名は前項の債務を昭和三八年五月から完済まで毎月二五日限り金一万円ずつ被告あてに送金して支払い、右割賦金の支払を引続き三回怠ったときは分割弁済の方法による期限の利益を失う。

二、前項の和解が成立した事情はつぎの通りである。

(一)、訴外西牧格也(原告吉久の実子で原告久恒の弟)は昭和三七年三月末頃訴外神野正治から融通手形として額面各金一〇万円、満期同年六月三〇日および七月五日の記載のある約束手形二通の振出交付を受け、それぞれ割引いて金融を得たが、約束に反して神野に対し満期までに手形金の決済をしなかった。

振出人である神野は自己の出捐で手形金の支払をしたので、西牧格也は同人に対し金二〇万円の債務を負担するにいたった。

(二)  原告らは、被告が昭和三七年一二月頃神野から、西牧格也に対する前記債権を譲り受けたという被告の言を信じ、当時西牧格也が債権者の追及を免れるため身を隠していたので同人の父であり兄である原告らは道義的責任を感じ、格也が被告に対し負担するという前記債務を重畳的に引き受けることを約し、ここに本件起訴前の和解の成立をみるにいたり、前記和解調書が作成されたのである。

三、しかしながら、原告らが調査した結果、被告が神野正治から前記債権を譲り受けたという事実はなく、原告らはこの点につき被告に欺罔され、その結果、重畳的に債務を引き受ける契約をしたことが判明した。したがってこの契約の前提ないし基礎となっている前記債権の帰属について、原告に錯誤があったものであり、該契約の締結について、要素に錯誤があったものといわなければならないから無効たるを免れない。してみれば本件起訴前の和解にもとずく原告らの債務は成立の余地なく、従って和解調書に基く強制執行も許さるべきものではない。

四、然るに原告らは被告に対し、本件和解に基づく債務の履行として、

昭和三八年五月三一日に金四、〇〇〇円

同年八月二五日に金五、〇〇〇円

同年九月三日に金一万五、〇〇〇円

をそれぞれ支払ったが、前記債務は存在しないのであるから、被告は合計二万四、〇〇〇円を不当に利得し、原告らは同額の損害を被むったことになる。

五、よって原告らは被告に対し、本件起訴前の和解にもとずく前記債務が存在しないことの確認、本件和解調書の執行力の排除及び金二万四、〇〇〇円の返還とこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和三八年一〇月一三日から、完済にいたるまで民法所定年五分の割合による損害金の支払を求める。

第三、被告の答弁

一、請求の原因第一項の事実は認める。

第二項(一)の事実は認める。同項(二)の事実のうち、原告らが、神野から被告への債権譲渡に関する被告の言動を信用し、これを前提として重畳的債務引受契約をしたという点は否認し他は認める。

第三項は否認する。被告は事実神野から原告ら主張の債権を譲り受けたものである。すなわち、被告は、昭和三六年九月一五日頃神野との間に雇傭契約を結び、この契約にもとずいて同人に対し、一年余の期間にわたる労務に対する約三五万円の給料等の債権を取得した。そして昭和三八年五月初頃神野は被告と合意の上、右債務の支払に代えて、被告に対し、原告ら主張の債権を譲渡したのである。

第四項のうち金員の授受の事実は認めるが、その余は争う。右の金員は、被告が原告久恒および訴外西牧満に対して有する金二万五、〇〇〇円の債権(大森簡易裁判所昭和三八年(ハ)第二四一号損害金請求訴訟事件判決により認定されたもの)に対する弁済として受け取ったものである。

理由

一、請求の原因第一項および第二項(一)の点は当事者間に争いがない。

二、≪証拠省略≫原告西牧吉久被告各本人の尋問の結果(但し被告本人尋問の結果は後記信用しない部分を除く)を総合すると、つぎの事実が認められ、被告本人尋問の結果のうちこの認定に牴触する部分は前記各証拠と比較検討すると信用するわけにはいかない。

(一)  被告はかねてから、訴外神野正治こと姜承順の訴外西牧格也に対する金二〇万円の債権を取り立てるため、格也の父である原告吉久および格也の兄である同久恒と交渉してきたが、昭和三八年三月頃原告吉久に対し、自分は姜承順が振り出した融通手形三通(額面合計金九〇万円)を同人のために回収したことに関し、同人に対して報酬金一八万円および立替費用金二万五、〇〇〇円の債権を有するのであるが、この債務の支払に代えて、前記姜承順の格也に対する金二〇万円の債権を譲り受けた旨主張し、さらに右の趣旨のもとに該債権を譲り受ける意思ある旨を述べてその回答を求めた姜承順宛の内容証明郵便(乙第三号証の一)を送ったが、同人は何等回答をしなかった旨報告した。

(二)  原告吉久としては、格也が当時姜承順らから身を隠し、また自らもその所在が判らなかった関係もあって、親としての道義上の責任を痛感していたが、被告の前記言動にかんがみ姜承順に支払うべきか、被告に支払うべきか決意しかねていた。そこで被告と相談の上、自ら内容証明郵便、(乙第四号証の一)により直接姜承順に対して、前記報酬金および立替金債権の存否につきただしたが、その回答がなかった。同原告はその後さらに被告から、同人が姜承順に対して内容証明郵便(乙第五号証の一)をもって、前記債権譲渡の件につき回答を求め、あわせてその回答がない場合は被告において債権の譲渡があったものとして処理する旨を申し入れたが、姜承順は何等応答するところがなかった旨の報告を受けた。

(三)  以上のような経緯のもとに、原告吉久は、姜承順が格也に対する前記債権を被告に譲渡したものと信じ、被告との間に、この事実については何らの紛争もなく、これを前提として交渉を続けた結果、昭和三八年五月一六日原告久恒の父であり同原告の代理人の資格を兼ねた原告吉久が被告に対し金二四万円の債務を負担することを約するとともに、その支払方法につき取り決めをなし、ここに東京簡易裁判所昭和三八年(イ)第三七四号損害賠償等和解事件にき、請求の原因第一項所掲の起訴前の和解が成立し、和解調書が作成された。

(四)  ところが姜承順は、自分の振り出した融通手形について被告に対しその回収を依頼したことはなく、まして報酬金契約をしたこともなかったし、また被告を曾て雇傭した事実もなかった。したがってまた姜承順は前記債権譲渡契約について、被告の申込を承諾した事実もなく、債権の譲渡はなされなかった。

(五)  なお、姜承順が前記のように自分に宛てた各内容証明郵便に対して何らの応答もしなかったのは、それらの内容がいずれも常軌を逸脱したものであると考え、敢えて応答する限りでないと判断したからにほかならなかった。

してみると、本件起訴前の和解の成立については、原告吉久において、(四)の点につき錯誤があったものといわなければならない。

そこで右の錯誤が、本件起訴前の和解の成立について、いわゆる法律行為の要素の錯誤に該当するかどうかについて判断をすすめる。

被告は、原告らは債権譲渡の事実があろうとなかろうと、さようなことは意に介することなく本件起訴前の和解に合意したものであるから、この点に関する錯誤は、法律行為の要素の錯誤には該らない旨抗争するけれども、前認定の各事実と原告吉久本人尋問の結果を総合すると、若し(四)の点について錯誤がなかったならば、姜承順および格也に対して何らの債権も有しない被告に対して、金二四万円の高額に及ぶ債務を負担し、その支払方法を契約するというようなことは、独り原告吉久に限らず一般常識からしてもありえないものと認められる。この認定を覆えして被告の主張事実を肯認できる証拠は見出しえない。

そうだとすると、本件起訴前の和解は、原告久恒の代理人を兼ねた原告吉久において、要素の錯誤があり、無効たるを免れず、その契約にもとずく原告らの債務も存在しないものといわなければならない。

三、被告が請求の原因第四項記載の合計二万四、〇〇〇円の金員を原告らから受け取ったことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫原告吉久本人尋問の結果、被告本人尋問の結果(但し後記信用しない部分を除く)によれば、前記金員は本件起訴前の和解にもとずく債務の履行として被告に支払われたことが認められ、この認定に牴触する被告本人尋問の結果は前記各証拠に照らし信用するわけにはいかない。

そうであるならば、被告は法律上の原因がないのに、原告らの出捐において金二万四、〇〇〇円を利得したことになり、該金員を同原告らに返還すべきである。

四、よって原告らの請求のうち、本件和解調書記載の金二四万円の債務の不存在の確認と、本件和解調書の執行力の排除、ならびに被告に対し、金二万四、〇〇〇円とこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和三八年一〇月一三日から完済まで年五分の割合による損害金の支払を求める原告らの本訴請求はすべて正当として認容すべきものとし、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条第九五条を、金員の支払を命ずる部分に関する仮執行の宣言につき同法第一九六条を、強制執行停止決定の認可およびその仮執行の宣言につき同法第五四八条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石崎政男)

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